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山県右三郎兵衛尉昌景 

山県右三郎兵衛尉昌景 武田家重臣・飯富虎昌の実弟

本名を飯富源四郎といい、1563年に譜代家老衆3百騎持となる。

山県隊は甲州軍団の中でも猛者が最も多く、精強なことで知られ、山県隊3百騎のうちで、3通以上の感状を持ったものが67人もいたという。

昌景は、甲州軍団第一の戦闘部隊長でもあった。

山県隊は具足を赤色に統一、その勇猛ぶりは「赤備え」と恐れられた。

三方ヶ原の合戦では徳川家康軍に正面攻撃を仕掛け、秋山信友隊と共に家康本陣へと肉薄、大いに切り崩した。このとき、家康も自決の覚悟を決めたという。

長篠の合戦では敵陣へと突入、戦死した。このとき、全身に銃弾を浴びて半身の自由を失ったが、采配を口に咥えて指揮を続けたという。

武田家滅亡後に家康は山県隊の旧臣を井伊直政に仕官させ、「赤備え」を復活させたといわれている。

詳しいことは→http://www2.odn.ne.jp/~hag50290/jinnbutu/sengoku/yamagata.htmlを見てください。

これからもちょくちょく書いていきますので見てくださいね!!

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byタカ

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